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東ティモール制憲議会選挙

東アジアの安全保障と日米同盟 -沖縄とのかかわり-


上杉勇司 / Yuji Uesugi   沖縄平和協力センター設立準備室


はじめに

 沖縄においてアジア太平洋地域との平和協力を推進する活動の一環として、私は去る8月30日に実施された東ティモール憲法制定議会選挙に、非政府組織(NGO)選挙監視団の一員として参加した。私が監視活動を担当したのは、西ティモールとの境界にあるコバリマ県内の計14の投票所。同県のスアイ市には、もともとインドネシア併合派の最大拠点があり、1999年の動乱の際に逃げ込んだ独立派住民146名が併合派民兵によって殺された「虐殺の教会」がある。また、この境界地帯では国連平和維持軍(PKF)と民兵との間で何度か衝突が起こっており、双方に死傷者が出ている。そのため、コバリマ県は治安の面 で「特段の注意を要する」地域と指定され、今回の選挙に関しても、東ティモール全体の趨勢を占う上で重要な鍵を握っていた。また同県は、独立後の東ティモールの安定に不可欠な住民和解やインドネシアとの善隣関係の樹立を推し進めていく際の試金石として位 置付けられていた。よって東ティモールの将来を見定めるといった観点からも、今回同県で監視活動を行ったことは大変有意義であった。以下、私が選挙監視活動を通 じて実際に感じたことを、「選挙の評価」「東ティモールの将来」「日本の平和協力」といった視点から論じる。


選挙の評価

  国連東ティモール暫定統治機構(UNTAET)の独立選挙委員会は、今回の選挙は自由で公正であったと発表した。私が監視した投票所でも、些細な過失は認められたものの、概ね作業は順調に進められており、国連の評価に異論はない。紛争終結直後の選挙では、政党間の闘争がエスカレートして暴力事件が発生したり、時には対抗勢力の暗殺に至ったりすることがある。しかし、今回の選挙で政党間の対立が暴力事件にまで激化する可能性は極めて低かった。なぜならば、前回の住民投票の際に暴力行為をはたらいた併合派民兵はすでに東ティモールから一掃されていたし、選挙前に乱立した政党の多くは、かつて「東ティモール民族抵抗評議会」の傘下にあった諸勢力が分裂して形成されたものであったからだ。さらに候補者を擁立した16政党のうち14政党までが「民主的で公正な選挙を実現し、各党とも結果 を尊重する」ことで合意しており、私が目撃した各政党の集会や各党首が参加した討論会は極めて自由で友好的な雰囲気で進められていた。そもそも、今回の選挙はUNTAETが実施したものであり、投票や開票作業中に不正が行われる余地はほとんどなかった。

 一方、1975年のインドネシア軍の侵攻以来、ゲリラ戦を展開していた東ティモール民族解放軍(ファリンテル)は、PKFの管轄下で国防軍への再編成が進んでおり、東ティモール内に特定の政党を支援する武装集団が存在しなかった点も、自由で公正な選挙の実現に寄与したといえる。もちろん、東ティモール内の治安維持を担当した約千名の武装した国連文民警察、国境地域を中心に東ティモール全域に展開する約8千名のPKF、西ティモールに駐屯するインドネシア軍との連絡調整を行う約2百名の国連軍事監視団の存在も忘れてはならない。とりわけ、PKFの存在は東ティモールの人々に安心感を与えていた。境界地域に展開するPKFは厳重な警戒体制を敷いており、西ティモールに潜伏する民兵が越境して選挙妨害や暴力行為を行う可能性は皆無に等しかった。よって、UNTAETの軍事・警察部門の存在により、東ティモールの人々は発言の自由や投票後の身の安全が保証されるという確証を手にすることができ、それが選挙の成功に貢献した。実際に国境検問所を視察した際には、民兵の動きは見られず、検問所にて対峙しているPKFとインドネシア軍の間には、険悪な雰囲気や一触即発といった緊張感はなかった。

 選挙キャンペーンから投票・開票作業に至るまでの選挙過程は一貫して自由で公正であったが、同時に選挙の意義を問う本質的な部分で深刻な欠陥があったことも指摘しておきたい。まず、今回の選挙は新憲法を審議する制憲議会選挙であったにもかかわらず、そのことを正確に理解していた有権者は5%に過ぎなかった(アジア財団調べ)。そもそも有権者の多くが「憲法」とは何かを理解していなかったといえる。さらに、政党の多くも、憲法の草案を提示したり、憲法に折り込む理念や政策綱領を主張したりするのではなく、独立闘争における自らの功績や地縁血縁による集票活動に偏重していた。この問題は、民主主義が未成熟なのだから仕方がないと片付けてしまうこともできるが、選挙の意義を高めるためにも、有権者教育や民主化教育にもっと力を入れるべきだったのかも知れない。

 今一つ気になった点は、今回の選挙が終始国連主導で行われ、ティモール人の関与が極めて限定的であったということだ。UNTAETの方針は、次回の選挙に備えてティモール人スタッフの育成に力を注ぐのではなく、選挙の効率的実施を重視していたように思われる。例えばコバリマ県の選挙委員会にはフランス人の代表とメキシコ人の副代表に加えて、ティモール人の副代表がいたが、実質的には2人の国際スタッフがすべてを取り仕切っていた。このような傾向は各投票所においても見られたが、最も顕著であったのは開票作業であった。開票はすべて国際スタッフによって行われ、ティモール人スタッフは作業を傍観するのみであった。  

 もちろん、UNTAETは限られた予算と時間の中で、有権者教育を施し、ティモール人スタッフを訓練し、選挙を成功裡に終わらせる必要があったのだから、上記の2点が不十分であったからといってUNTAETを責めるつもりはない。ただし次回に向けた課題としてこの2点は留意しておく必要があろう。例えば、有権者教育、現地スタッフの訓練、投票・開票作業などは、国連がNGOに今まで以上に業務を依託してもよいだろう。


東ティモールの将来

 1999年の混乱時に約25万人が避難民として西ティモールに流出した。そのうち16万人はすでに帰還を果 たし、現在西ティモールに残留する数は9万人前後であるが、その大多数は残留を希望している。残留を希望する避難民の多くは、併合派民兵やインドネシア統治下で要職についていた者、およびその関係者である。殺戮行為に加担した者の帰還は許されていないが、帰還が可能なその他の者も東ティモールに帰還すれば「併合派」として報復を受けることを恐れ、帰還を拒んでいる。彼らの帰還を促すためには、帰還を果 たした併合派住民の社会復帰と独立派住民との和解を実現していくことが不可欠だ。その意味で、かつて併合派の最大拠点であったスアイに「平和・和解センター」が作られ、対話が重ねられていることは注目に値する。 他方、西ティモールに残留する併合派民兵は依然として武器を保持しており、避難民に対する援助が縮小されていく中で、彼らによる犯罪が西ティモールの社会問題となっている。アチェやマルクなど国内に数多く紛争を抱えるインドネシアは、東ティモール問題はすでに「決着済み」とし、民兵が不要な問題を起こさないように警察を通 じて取締を強めている。しかし、民兵を組織し武器を供与してきたインドネシア軍は、警察による民兵の取締に非協力的であり、西ティモールでは民兵の処遇を巡る軍部と警察との対立が深刻な問題となっている。UNTAETによる暫定統治が終了し、PKFや文民警察が撤退した後に、東ティモールが独立を維持していくためには、単に国防軍を設立するだけでは不十分であり、西ティモール情勢まで視野に入れて対策を検討することが重要だ。西ティモールに残留する民兵の武装解除と社会復帰を進めていくことなしに、東ティモールの国境は安定しまい。

 ところで、独立を目指す東ティモールが抱える難題は、和解や国境の安定化だけではない。むしろより困難な課題は、経済的自立をいかに確保していくかであろう。インドネシア統治時代は財政予算の9割をジャカルタからの補助金で賄っていた東ティモールの台所事情は、UNTAETの暫定統治になった今も大差はない。自主財源は国家予算の3割しかなく、残りの7割はUNTAETや世銀からの支出に頼っており、国際社会の支援なくして東ティモール国家の存続は不可能だ。日本だけでもすでに復興開発支援で5千万ドル、人道支援で3千万ドルを拠出している。  

 東ティモールの大部分を占める農村では、自給自足体制がほぼ確立されている。そのため、唯一の輸出用作物であるコーヒーの生産がインドネシア統治時代に比べ半減していても、国民の8割が失業中であっても、人々は明日の糧に困っているわけではなく、人々の表情に悲愴感は漂っていなかった。一方、東ティモールの指導者たちは、ティモール・ギャップに埋蔵された原油と天然ガスの産出に期待を寄せている。  

 前回の住民投票の際に、インドネシアの拡大自治提案を受け入れた方が財政的には現実的な選択であったにもかかわらず、東ティモールの人々は死と貧困を覚悟で自由を選択した。そして、国際社会は東ティモールの独立に手を貸してきたのだから、新国家東ティモールの将来に対して責任がある。国際社会は、その責任を果 たすためにも適切な支援を継続する必要があるが、同時に東ティモールが援助漬けにならないように、自立を促すような援助政策をとっていくことが重要であろう。


日本の平和協力

 日本の東ティモール支援の中心は財政支援であり、その半数近くはインフラの復興整備事業に使われている。それ以外にも、人材育成の事業や東ティモールで活動するNGOに対して財政支援を行っている。日本の支援額は、国際社会の対東ティモール支援総額の1/3に及び、日本は東ティモールの復興に不可欠な存在になっている。 これらの支援だけでも十分評価に値するのであるが、財政支援に比べると現地で支援活動に従事する日本人が極端に少ないことは問題である。例えば、UNTAETの中核を占めるPKF、軍事監視団、文民警察に日本人の姿は無い。PKO5原則など国内の制約は理解できるが、世界各国が東ティモールの平和のために人員を提供しているのに、なぜ日本はカンボジアには派遣できた施設部隊ですら出していないのか。なぜ非武装の軍事監視団に1人も参加していないのか。住民に信頼される警察を目指す東ティモールに、世界的に評判の良い日本の警察官がなぜ1人もいないのだろうか。軍事・警察部門で日本が積極的かつ迅速に行動できないのは、カンボジアにPKOを派遣して以来、PKO政策について十分な議論をしてこなかったからではないか。  

  いうまでもなく、軍事・警察部門への参加だけが日本の人的支援の道ではない。だが、その他の分野でも平和協力に従事する日本人の数は極めて少ない。とりわけ、民主化支援などの平和構築に関連する分野で、日本は今まで以上に人的支援を行う必要がある。そして、その際に他のアジア諸国と協力して支援活動を実施することの重要性を強調したい。  

 私は今回、アジアのNGO連合体「アジア自由選挙ネットワーク(ANFREL)」の一員として選挙監視に参加した。つまり、アジア太平洋地域の一員として、同地域の人々とともに、同地域の一員である東ティモールの平和のために、力を合わせたことになる。私は、ANFRELのメンバーから出身地を聞かれた時には、「沖縄」と答えるように努めた。沖縄の平和を希求する心をアジア太平洋地域の人々に伝えるためにも、来春に予定されている東ティモール大統領選挙には、沖縄から世界最大の選挙監視団を率いて行きたい。