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タジキスタンとカンボジアの内戦終結に果たした国際社会の役割

タジキスタンとカンボジアの内戦終結に果たした国際社会の役割


上杉勇司 / Yuji Uesugi   沖縄平和協力センター事務局長
伊地哲朗 / Tetsuro Iji  平和・安全保障研究所 安全保障研究奨学生


対内的な成熟と対外的な成熟

 紛争解決の機運が高まるためには、内的要因と外的要因の2種類の諸条件がそろうことが必要である。内的要因とは紛争当事者が和平を望むことであり、「対内的な成熟」のこと。外的要因とは、紛争を取り巻く関係各国が和平に向けて協力することで、「体外的な成熟」と呼ばれる。
 タジキスタンの和平プロセスを促した内的要因として、紛争当事者のラフモノフ政権とタジク反対派連合(UTO)双方が、内戦において自らが軍事的に勝利する確信を失い、政治的解決による戦争終結を模索していた点が挙げられる。外的要因としては、特に1996年9月のタリバンによるカブール陥落後、紛争当事者を政治的、経済的、軍事的に支援してきた関係各国、中でもロシア、イラン、アフガニスタン(北部同盟のラバニ・マスード派)が積極的に和平を働きかけた点が考えられる。すなわちタジキスタン内戦の場合、ある程度は対内的にも対外的にも紛争は成熟しており、解決に向けた機運が高まっていた。 ところが、カンボジアの和平プロセスの場合、体外的な成熟度に比べ対内的な成熟度は不十分であった。冷戦の終結でソ連からの援助が途絶えたベトナムは、カンボジア紛争からの撤退を画策し、他の関係各国(タイ、中国、ソ連、米国)も紛争の終結を望むようになった。関係各国からの援助のカットと圧力を受けた紛争各派は1991年10月にパリ和平協定に調印する。だが紛争各派のうち、強力な軍事力を持っていたポルポト派や、ベトナムからの支援を失ったものの依然として領土の大部分を支配下に置き、行政機関、軍隊、警察を掌握していたフンセン政権が、切実に和平を望んでいた訳ではなかった。そのため、和平協定後のプロセスは順風満帆とはいかなかった。


国連の役割

 血戦を繰り返してきた紛争当事者が、和平交渉を進め、合意に達し、それを履行するためには、信頼できる中立的な仲介役や保証人が必要である。国連は、事務総長や平和維持活動(PKO)の派遣を通じて、このような局面で何度となく重要な役割を演じてきた。
タジキスタンでは、1997年6月の最終合意に至る和平交渉の過程で、歴代の事務総長特使・特別代表が、紛争当事者間の連絡役・パイプ役を務め、調停者として主導的な役割を果たした。また国連は、1994年9月のテヘラン停戦合意を受けて、国連タジキスタン監視(UNMOT)を派遣した。ただし、治安維持で実質的な役割を果たしたのは、ロシア軍を中心とした独立国家共同体(CIS)のPKOであった。これは国連PKOと地域的機構のPKOとの協力のあり方として興味深い事例である。
 カンボジア和平で国連が果たした役割は大きかった。国連は、内戦が戦闘状態から紛争処理へと至る移行プロセス全般を監督した。パリ和平協定が締結される過程では、安保理常任理事国が中心的な役割を演じ、和平合意の履行の段階では、国連カンボジア暫定統治機(UNTAC)がその重責を負った。特に注目に値することは、移行支援に関するさまざまな活動がUNTACの任務の中に組み込まれた点である。UNMOTの場合とは異なり、UNTACの場合は、平和維持から平和構築を含む包括的な役割を一手に引き受けていた。


多種多様な仲介者と仲介者間の連携・調整

 和平プロセスには多様な第三者が介入する。中立的な仲介者もいれば、紛争の悪化を招く偏った介入もある。国連による介入があれば、非政府組織(NGO)が重要な役割を演じる場合もある。
 タジキスタン和平プロセスには、ロシア、イランなどの関係各国、国連やOSCE、ダートマス会議の非公式対話グループなど多様な仲介者が関与した。それらの仲介者間の政策調整や役割分担は比較的うまく行った。その結果、複数の和平努力は競合することなく実施され、国連主導の和平プロセスに一貫性が保たれ、最終的に和平合意につながった。
 カンボジア和平の場合には、関係各国が集ったコア・グループが国連安保理を中心に形成され、国際レベルでの政策調整を行った。他方、現場では多くの活動がUNTAC傘下で実施され、UNTACが基軸となってUNHCRやUNDPなどの連携を促した。


和平プロセスを壊しかねない抵抗勢力の処遇

 和平合意が結ばれ、それが履行されるためには、和平プロセスを壊しかねない抵抗勢力をいかに取り込んでいくかが鍵である。例えば、アンゴラのように和平合意後の選挙に負けた勢力が戦闘を再開して内戦に逆戻りした事例もあり、抵抗勢力の処遇次第では和平が頓挫する可能性がある。
 ソ連時代にタジキスタンを支配していた北部のレニナバード勢力は、内戦の結果、南部のクロブ新興勢力に取って代わられ、和平交渉からも排除された。またレニナバード勢力と密接な関係にあるウズベキスタンは、内戦初期にはロシアと共に軍事介入しラフモノフ政権の樹立を支援するなど主導権を発揮したが、和平交渉の過程で次第に脇役へと追いやられ、タジキスタン和平のあり方に不満を隠さなかった。だが、レニナバード勢力は軍事的な脅威とはならず、タジキスタン和平を危機に陥れることはなかった。


紛争処理か、それとも紛争解決か

 タジキスタンでは、戦闘に関与した二大勢力の政府とUTOの間で政治的な合意が実現し、戦争は一応終わった(紛争処理の段階)。しかし、他の政治勢力(レニナバード勢力など)を事実上交渉から排除し、内戦の主要な原因であった地縁主義が未だ蔓延り、紛争の根本的要因が除去された(紛争の解決)とは言い難い。
 カンボジアの場合は、パリ和平協定の実現によって 、全面的な内戦に終止符が打たれた。その後紆余曲折はあったものの、カンボジアは単なる内戦の終結(紛争処理の段階)から、より平和な社会づくりを目指して着実に前進している。 ポルポト派の崩壊に伴い、内戦再発の恐れは減ったが、依然として紛争の根本的な要因であった暴力的な権力闘争は残っている。