米国のムスリム社会と中東政策 (文責:成瀬志津子)
講師:泉淳氏 / Izumi Atsushi 東京国際大学助教授
2003年9月10日に、米国外交(中東政策)の専門家である泉淳東京国際大学助教授を招聘して、OPAC Security Review「米国のムスリム社会と中東政策」と題する講演会を開催した。
米国内のムスリム(イスラーム教徒)
現在米国内のムスリム人口は600万人程だと考えられている。私たちがムスリム・イスラームと聞いて思い浮かべるのはアラブ諸国だが、米国ムスリム・コミュニティーの民族構成を見ると、アラブ系ムスリム(26%)よりインドネシアやパキスタンなどの南アジア(32%)出身のムスリムの方が多い。礼拝所となるモスクあるいはイスラミック・センターは、建物の一室に構えられた集会場を含むと1,300ヶ所ほどあり、そのうち1,000ヶ所以上が過去約50年で建設された。米国へのムスリム移民には大きく分けて3種類ある。アフリカから奴隷として連れてこられた黒人ムスリム、1870-80年代にレバノンやシリアから米国に渡ったムスリム移民、そして1960年代以降のムスリム移民だ。初期の移民が米国人になる意気込みをもって米国に渡ったのとは対照的に、比較的新しいムスリム移民は、ムスリムのアイデンティティーを持って移民しているのが特徴的である。
代表的なイスラーム系組織
米国内で活動するイスラーム系組織の主なものにはISNA (Islamic Society of North America)、 CAIR (Council on American-Islamic Relations)、 MPAC (Muslim Public Affairs Council)がある。80年代後半にパレスチナで始まった民衆蜂起、湾岸戦争、9・11テロ事件を経てムスリムが次第に目立つようになり、特にテロ事件後はムスリムに対する差別や反感が強まった。それに伴い差別的な政策の改善を求めていこうとする活動も活発化した。
イスラーム世界側からの認識
十字軍に始まり、列強の帝国主義や植民地主義といった歴史的経験に起因する被害者意識がイスラーム世界には根強い。外部では、イスラームは民主主義の理念とは相容れず危険であるというイメージが一般認識となっている。しかし、もう一方では「イスラームの脅威ではなく、イスラームへの脅威だ」との主張があるように、イスラーム世界内外での認識のズレが相互不信の悪循環を生んでいる。
テロ事件以降の米国の対イスラーム世界政策
9・11テロ事件に関して、米国の知識人層には2つの潮流がある。ひとつは、オサーマ・ビン・ラーデン一派はムスリムの思想から完全に乖離した単なるテロリストで、テロ事件に関して米国に責任は一切ないとする立場だ。共和党右派のネオコン勢力を筆頭に、政策決定者にこの立場を取る者が多い。もうひとつは、ビン・ラーデンの主張にも一理あり、テロ事件の背景にはこれまでの米国の対外政策の問題があるのであって、テロリストを生む「環境」に対処すべきという立場だ。この考えは、中東地域の文化、歴史に精通した中東地域研究家に支持されており、結果として米国の政策に批判的な立場を取る者が多い。
今後注目すべき点
2000年大統領選挙の際、米国内のムスリムの多くが共和党を支持した。彼らの期待に反し、テロ事件を契機としてブッシュ大統領率いる共和党政権は、ムスリムに対して厳しい政策をとるようになった。共和党を支持したムスリムは、選択が正しかったのか否かを考えている。今後彼らをどう取り込んでいくのか、次回大統領選挙の行方を注視したい。
質疑応答・参加者との意見交換
○民主主義とイスラーム
一般認識である民主主義とイスラームは相容れないという考えについて活発な議論があった。具体的にイスラームの何が民主主義と相容れないのか。イスラームの指導者が国家元首の国には、イランやエジプトなど、権威主義的・独裁主義的な政権が多い。人権の侵害も深刻で、政策策定の過程も、イスラームの教義にあっているかどうかで判断され、民主主義の理念と隔たりが大きい。では、私たちの指す民主主義とは何なのか。民主主義の定義は様々で、世界には多様な民主主義国家が存在する。政教一致の政治体制を国民が支持している場合、国民の支持という形で民意が反映されており、民主的ともいえるのではないか。つまり、ここでいう「民主主義」とは、欧米的概念で定義された民主主義を指しているのではないだろうか。
○9・11テロ事件に対するイスラーム社会の反応は?
イスラームを信仰する人すべてがひとくくりにされて危険視されるのを恐れ、テロリストとは一線を画そうと距離をおく傾向にあった。
○米国のように最強の軍隊を持つ国が、なぜ9・11事件にあれほど強い衝撃を受け、過剰なほどの恐怖を感じたのか。あのようなテロ事件は世界で起こっている。多くの人々が紛争で苦しみ、命を落としている。これまで他者のそのような苦しみに対して想像力を使って共感しようという努力が、米国人に欠けていたのではないか?
米本土に攻撃を受けた経験がないので、これまで当然のことのように持っていた安心感が吹き飛ばされた。世界最強の軍隊を持ってしても、テロ攻撃を未然に防ぐことはできなかった。また、軍事力ではテロには歯が立たないという恐怖感を突きつけられた。民間旅客機であれだけの惨事を引き起こすのだから、もしあれが大量破壊兵器だったら…という最悪のシナリオが現実の脅威に感じられた。テロ事件後米国内で頻繁に取り上げられた「なぜ自分たちは憎まれるのか」という漠然とした問いかけが、これまで自分たちの国が他国にどんな影響を与えてきたのか、外からどうやって見られてきたのか、世界の紛争地域に暮らす人々の苦しみはどんなものなのか、などの問いに対する想像力が欠如していたことを伺わせる。危機に見舞われた時は、それに立ち向かっていく気概と同時に、自省する姿勢も必要であろう。
○米国でムスリムに改宗するケースはあるのか?
こういったケースは増えてきている。実際に多いのが、罪を犯して刑務所に入り、刑務所内で改宗するというケースだ。それ以外にも、経済のしわ寄せなどで社会から脱落した人が、精神的安定や支えを求めてムスリムに改宗するケースも増えている。
○今後イスラームとの軋轢を解消していくにはどうしたらいいか?
やはり、パレスチナ問題を解決することが必要になる。この問題は象徴的意味合いがとても強く、サダム・フセインがクウェートに侵攻した際や、ビン・ラーデンがテロ活動を行う際にも、行動を正当化する理由として引用された。実際にはパレスチナ問題との直接的関係はないのだが、悪い意味合いで引用されることが多いために、この問題の解決は、テロリストに口実を与えないという意味でも重視されねばならない。